内田康宏のホームページ
新世紀アメリカ事情 

⑥ パプアニューギニア訪問

 変わりゆくソビエト・ロシア
内田康宏(パプア・ニューギニア、2007年11月)

 この2007年11月、パプア・ニューギニア(以下PNG)のラバウルにある、オイスカ農業研修センター20周年記念事業への14名訪問団の団長として、初めてオイスカ活動に参加させて頂いた。
 正直なところ、これまでOISCAという名が何の略号であり、どういう団体であるのか、明確に分かっていなかった。「名前はよく耳にするけれど、何やら海外ボランティア活動をしているNGOの一つらしい」という程度の認識であった。
 今回私が参加した一番の理由は、ラバウルという地名にあった。以前、大学生のころ、自民党の洋上大学に参加したことがあった。初めての海外旅行を楽しむことしか頭に無かった私は、同行の青年部の有志が、ある夜、硫黄島の沖合いあたりの甲板上で献花式を行いながら「海ゆかば」を斉唱する姿に直面した。その姿に心を打たれて以来、歴史に対する仁義を欠いて生きている私達戦後の日本人の姿に一種の後ろめたさを禁じえなかったからでる。
 そこで、このような機会があれば是非参加したいと想い続けてきたところ、昨年私が議長職にあった折、オイスカ・インターナショナルの中野良子総裁自らの訪問による要請を受け、すぐさま承諾させていただいた次第である。

ラバウル到着の歓迎 そして私

 セントレアから成田空港経由でPNGの首都ポートモレスビーに向かい7時間、着陸態勢に入った機中から薄もやに浮かぶオーエン・スタンレー山脈のシルエットを目撃した瞬間、格別の感慨にとらわれた。この空域は、かつて60年前の太平洋戦争の折、ラバウルの日本航空隊とポートモレスビーの米英豪連合軍がこの山脈をはさんで、しのぎを削って戦った場所であるからだ。戦いにより被弾し、高さ4500mの山脈を越えてラバウル帰還の叶わなくなった日本軍機は再度敵の飛行場へ突入し、自爆して果てたと言われている。また、PNG周辺は太平洋の戦いにおける陸海空の最大の激戦地でもある。ミッドウェー海戦に先立ち、世界初の日米航空母艦対決の場となった珊瑚海の海戦が行われたのはPNGのすぐ南の海である。
 ラバウルのあるニューブリテン島の二つ東隣りにあるブーケンビル島は、山本五十六大将の乗機が米のP-38戦闘機に撃墜された所であるし、さらにその先には太平洋戦争の分岐点の一つと言われる日米が血みどろの戦いを演じたガダルカナル島、そして、その海域は日米豪海軍により三次に亘る艦隊決戦の舞台となったソロモン海が横たわっている。この海域の一部には、今も船が航行する度、海底に沈んだ数多くの各国の軍艦のせいでソナーに雑音が入り船の航行に支障のある「アイアン・ボトム」(鉄底海峡)と名づけられた海峡がある。今、この海域にレジャー目的で集う若者の何人がその事実を知っているだろうか? 父の世代から伝え聞いている私達には、そうした歴史の真実を子供たちに伝えていく責任があると思う。

オイスカ・ラバウル農業研修センター 東飛行場は灰の下

 ラバウル到着後、私達は戦跡の訪問と戦没者慰霊祭を執り行った。
 歌でおなじみのラバウル航空隊の基地は、1994年の火山の大噴火のため10m以上の火山灰の下にある。PNG各地には、今も数多くの飛行機や戦車の残骸が残されており、砲台跡には大砲や対空機銃が錆ついたまま空をにらんでいる。現地に立った私はただ瞑目するのみであった。オイスカ研修センターに移った私達は、責任者の沢井氏の案内で施設見学を行った。広大な施設は隅々までキチンと整備されていており、指導者の真摯な運営姿勢を見る思いがした。
 日本人のやり方を無理強いすることなく、この地域の気候風土を見極め、人々の気質と経済状況を考慮しながら一番適した農業指導をするという、実の根気のいる作業を歴代の指導者達は模索してきた。いかに政府援助があったといえ、原生林から田畑を切り開き、有機農法を主体にこれまでの施設を作り上げた鳥谷部、荏原、両歴代所長の忍耐と努力に心底敬意を表するものである。

砲台の跡 ゼロ戦の残骸

 最初の公式行事である「ラブ・グリーン・デイ」の祭典は地元郷土色溢れた興味深いものであった。先年、愛知県で催された「自然の叡知」をテーマとした愛・地球博とオイスカの基本理念、「物質と精神の調和した繁栄」に地元の「母なる大地」の精神を調和させた催しであることが、各来賓のスピーチから伺えた。地球温暖化や増え続けるゴミによる世界的環境破壊の心配される昨今、これはたいへん意義深いことであったと思う。ただ、来賓の挨拶の間に子供たちの歌や踊りが入り、一時間で終わりそうな式典が炎天下の元、延々と続くのには少々閉口させられた。9時に始まる式典が10時半からというのも近代化、未だ道遠しの感がある。
 しかし彼らの側から見れば、森の中に入れば天然のバナナ、パパイヤ、マンゴー、ココナッツ、豊富なイモ類があり、海の幸も十分で食う事に困らない。住みかは木とヤシの葉の組み合わせで何とでもなる。「どうして、そんなにアクセクと生きるのか?」と逆に言われてしまいそうである。人間の生き方というのは、やはり環境の影響大きく受けるものなのだろうか。

オイスカ・中野良子総裁 式典会場 ぼくも踊りたいのに・・・

 翌日のオイスカ20周年記念式典も、英連邦の総督、州知事をはじめ、日本大使館、協賛日本企業の代表者等、そうそうたる顔ぶれが揃う中、厳かにはじまった。しかし、間に歌と踊りが入るのは昨日と同じであった。午後からはこの周辺の各部族が独自の化粧と衣装に身を包み、歌や笛太鼓とともに動きの激しい民族舞踏を続々と踊り続けるのであった。興の頂点に達すると司会者の声に耳を貸さない。熱狂と自己陶酔、狂乱か錯乱か、止め金のはずれたバネ人形がいつまでも跳ね続けるように騒動が続いていく。終了間際に、私の前に立った大男がビール瓶を噛み砕いて三分の一程度、口を真っ赤にしながら食ってしまったときには言葉をなくすのみであった。この赤は血ではなくビンローの実の色だとのことである。
 ココボのホテルに滞在中、中国人の宿泊者に出会い、町中でも度々中国人の姿を見かけることがあった。彼らの多くは古くからの在住者ではなく、近年、中部、南太平洋地域への中国の拡大政策に基づいて来ているようである。経済的成功を確保しつつある中国は、国際社会における支持基盤の拡大と増え続ける人口、そして豊かになった国民生活の維持拡大の為、昨今盛んに開発途上国に接近しつつある。アフリカにおける資源外交、中東、アジア地域においても、国益のためには専制国家とも手を組んでいる。
 現在、中部太平洋地域において、中国を支持する国家はミクロネシア、フィージー、サモア、トンガ等である。そうした国々の中には、この地域で衰退傾向のアメリカに替わって中国の経済支援による自国の発展を期している国もある。現に、PNGのマーケットの中は中国製品で溢れている。経済面ばかりでなく、トンガでは中国の国営TV放送を衛星中継で24時間放映したり、学校建設、中国人教師の派遣、奨学金援助、中国への留学等、実にきめ細やかな政策の展開により親中国勢力の拡大に力を入れている。その目的は太平洋地域における漁業権の確保(港の使用)、市場の拡大,対日米同盟、ことに環太平洋の対日包囲網の構築、そして台湾の国連加盟の阻止が主な目的と思われる。ことにPNGは銅、石油等の鉱物資源にも恵まれている為、中国の標的となるだろう。

 いつの時代も、国家は力を得て外に向かう。大国主義とはそうしたものであり、中国とてその例外ではなかろう。こうした中国の試みに対し、現実的な親日的基盤造りを継続的に行っているのはオイスカが一番手ではないだろうか。
 オイスカ関係者の皆様の益々のご活躍を祈ると共に、日本政府がこうした活動の重要性を再確認し、新たな政策展開に出るための努力をしなければならないことを気付かせてくれた旅でもあった。

さらばラバウルよ
内田康宏のホームページ