⑤ 新世紀アメリカ事情 |
2001年7月30日、県議会の調査団の一員としてアメリカ合衆国に渡航しました。IT施策、危機管理システム、教育事情、空港の整備と運用、都市再開発、等々が調査項目でした。 帰国後、その報告を東海愛知新聞紙上(同年9月21日~10月14日)にて発表しました。14回にわたって連載したコラム『新世紀アメリカ事情』からの抜粋です。
今年は、日米の太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃六十周年に当たり、またぞろアメリカの聖戦を誇示する記念行事が計画されているようである。その先鞭をつけるかのようにディズニー社が『パール・ハーバー』という三時間長編の映画を製作し評判となっている。特撮技術が素晴らしいという言葉に釣られて、先日子供たちと岡崎グランド劇場まで足を運んだ。以前、三十周年のときに日米共同製作されたドキュメンタリー・タッチの『トラ・トラ・トラ!』に比べ、史実よりも娯楽性に比重を置いた架空の人物のラブ・ストーリー映画であった。
しかし、馬鹿にできないのが映画である。一見娯楽映画の形を取りながら、その内実は日本に対するマイナスイメージを深層心理に擦り込ませる役割を果たすからである。
アメリカという国家は軍事力や経済力と共に文化的影響力を政治的に利用するという狡知にも長けた国家である。先の両大戦にいても、そんな意図を含んで製作された映画が数多くある。日本へは輸入されないが、子供向けのアニメですらポパイやマイティー・マウスに日本軍やドイツ軍を退治させたりする。無言のうちに親米心を育ませるディズニー文化の力も絶大なものがある。
何年か前に大ヒットしたブルース・ウィリス主演の『ダイ・ハード』でも、悪徳商法で不正蓄財しているように描かれ、破壊の舞台となったのはナカトミ・ビルという架空の日本商社である。最初に殺されるのは日本人の社長で、テロリストはドイツ人という設定である。こうしたステレオタイプのイメージが映画の中で再構築され、差別意識に結びつくことに警戒の念を表明しているアメリカ人もいる。この映画ができた頃は、ちょうど日米経済摩擦の真っ只中であった。
アメリカ映画は日本映画に比べ、一作に莫大な資金が投入される。そのために自己資金だけでなくスポンサーを求めることが多く、スポンサーの意志が映画に反映されることも少なくない。どこかの国が第三者を通じて資金援助をすることさえあり得る。日本人に欠けているのは、こうした知恵とテクニックではあるまいか。国際外交というのは、表面上の建前論とは別に、裏であらゆる手段を駆使して、自国の国益に有利に事を運ぶための戦いであると言える。
最近もうひとつ癪(しゃく)なことがあった。元米海軍軍人でジャーナリストのロバート・スティネットの著作『真珠湾の真実』の中で、日本軍が完全極秘のうちにおこなったとされる真珠湾攻撃の計画と機動部隊の経路までがほぼ正確に米側に掌握されていたことが立証されたのである。これは、カリフォルニア州選出のジョン・モス下院議員(民主党)による議員立法〝情報の自由法〟(FOIA)により判明した。
今までに幾度も「ルーズベルトの陰謀説」が主張され何回も調査されたが、国家安全保障上の機密保持の壁に阻まれ、誰も裏付けを取ることができなかった。ところがこの新法のおかげで、50年を経過した事柄については、特別指定事項を除いて情報公開されなくてはならなくなったのである。そのため、国会図書館や政府資料室に仕舞い込まれていた極秘資料の数々が日の目を見ることとなったのである。
その中に開戦前後の膨大な量の日本軍並びに日本政府の暗号電文とその解読書が含まれていた。日付を照合すると、事前に計画が筒抜けであったことが分かる。さらに、少年時代を日本で過ごし、在日海軍武官として後の昭和天皇となる皇太子にチャールストンの踊り方を手ほどきした程の知日派のアーサー・マッカラム少佐の手により、対日戦争挑発行動八項目という覚書の存在まで明らかになったのである。ここで内容を詳細に記述しないが、マッカラム少佐は1940年10月作成のこの覚書の中で「戦争は不可避であり、国民世論の喚起のために日本に先に仕掛けさせる」ため、八つの具体案がルーズベルトに具申されている。
当時、米国にとって本当に危険な存在はヨーロッパを席巻(せっけん)しつつあったナチス・ドイツであり、対独戦の起爆剤に日本を使ってもハワイの太平洋艦隊が損なわれることはないと考えたのだろう。現存の資料を詳しく読めば、米側に物事を平和的に処理する意志の薄かったことは明白である。
どちらにせよ、そうした情況に追い込まれたこと自体が日本の外交的敗北であり、また今度の事件(注・9月11日の同時多発テロ事件)を見ると、アメリカも歴史の教訓を十分に生かしたとは言えないようだ。
名古屋空港を飛び発って2時間半、気のせいか焦げ臭いにおいがしたと思っていたら「当機は電気系統の故障のため、ただ今より成田空港へ引き返します」という機内放送があった。たいしたことはなかろうと高をくくっていたところ、成田では滑走路の両側に赤色灯を明滅させた数十台の化学消防車の出迎えを受けることとなった。
IT調査の旅に出かけた矢先、IT機器の結晶とも言える飛行機がこの有様では先が思いやられる。
そんなアクシデントのため、サンフランシスコへの到着は6時間遅れの夜9時過ぎとなる。
この地で最初の仕事は、シリコンバレーにあるサニーベール市で最先端のIT行政システムとコンピューター・セキュリティーの調査であった。ところが直前になって市の担当者の転勤によりキャンセルとなる。そこで急遽、ハイテク機器で有名な「インテル社」を訪問することになる。
1968年創立のインテル社は、半導体チップやマイクロプロセッサーの開発で成長した会社で、現在世界半導体市場の約一割のシェアを持っている。
翌朝バスで乗りつけた我々は、インテル社に併設の博物館で同社と半導体技術の進歩の歴史を辿り、精密機器製造システムの説明を受けた。工場の現場を見せずに、わざわざ見学者用の博物館を用意しているというのは、来場者へのサービスというより先端技術の秘密保持が目的であるように思われる。
日程が変わったため、私は現地の友人に連絡をつけてみた。以前、岡崎にいたことがあり、鈴木雅美前市議のリバーシブル社で働いていたフィリップ・キース君である。彼とは今から18年前にサンフランシスコで知り合って以来の仲である。当時カリフォルニア大学バークレー校で政治学を専攻していたフィリップ君も、今や日本人の奥さんと一人娘を持つ身である。
ゴールデンゲート・ブリッジから南へ1キロ程のところにプレシディオという名の地域がある。1776年にスペインが砦を築いて以来、この地の支配者がメキシコになりアメリカ合衆国になってからも、一貫して軍事基地として利用されてきた。
実際に訪れてみると、軍事基地というよりも緑地公園か閑静な住宅地といった印象である。木立に囲まれた緩やかな道を進んで行くと、左手に白い板壁の兵舎が見えてくる。その奥まったところに平屋の煉瓦造りの長い建物がある。これがアメリカ合衆国連邦危機管理庁、通称FEMA(フィーマ)のカリフォルニア事務所である。このところの軍事費削減の煽りを受けて廃止された基地の跡を借用しているとのことであった。
大陸国家であるアメリカでは各地の自然現象も多様で、旱魃(かんばつ)と洪水に山火事が同時発生することもある。そうした二百年の建国の歴史における多くの自然災害と人的災害(テロ破壊活動)の教訓を連邦危機管理庁(フィーマ)というシステムに集約させている。
我々を出迎えてくれたのはジェイムズ・シーベルという恰幅の良い白髪の公報官と実行部隊のリーダーであるボブ・ペントン氏であった。こうした取り合わせで説明させるのは、いかにもアメリカらしい。
危機管理庁は、国民の生命と財産及び国家のインフラをすべての災害から守るために設立されている。その基本原則は①迅速な災害対応、②災害の影響の軽減、③原状回復、④災害への備えの四点である。本部はワシントンにあり、具体的には全米を十の地区に分け、基本的に地域災害には地区で対応し、大型災害に対しては相互協力体制が取られる。サンフランシスコは第九地区に当たり、その地区本部が置かれている。管轄地域は西部四州(カリフォルニア、ネバダ、アリゾナ、ハワイ州)とマーシャル、マリアナ、グアム、サモアの各諸島で、全域で最大9時間の時差がある一番広いエリアを担当しているという。
危機管理庁は基本的に大統領直属の機関として存在する。局長は内閣のメンバーに入っており、各州知事から大統領に対し非常事態宣言の要請が出されたときに、大統領令に基づき出動することになる。
常勤職員は2400人であるが、7000人の予備職員を招集できる体制ができているそうだ。物資・機材は基本的なものをセットして各地域で梱包保管しており、必要の際には即座に使用できる体制になっている。特殊な機材は地域ごとに分担保管し、災害に応じて必要な物を被災地へ空輸するという。
輸送における軍隊の役割について質問すると「軍隊の任務の第一は国防であり、基本的に災害対策には民間の輸送力を使用している」との回答であった。
災害対応は三段階あり、①即時対応、②48時間対応、③72時間対応と各レベルごとの装備・資材が用意されている。しかし救援活動の主体はあくまで地方自治体と州政府で、危機管理庁は地方と連邦の調整をしながら救援活動を補完する。ただし災害救助法が適用される大災害に対しては連邦レベルで対応する。地震、洪水、山火事、ハリケーンなど現実にありそうな災害については既に具体的なマニュアルがある。なお、要請がない段階でも災害発生と同時に出動舞台はスタンバイしている。
災害発生時の主要な仕事は①輸送、②通信、③土木工事、④消防、⑤情報企画、⑥公衆衛生、⑦代行活動、⑧医療、⑨地域ネットワーク、⑩危険物処理、⑪食料、⑫エネルギー対策である。
第九地区ではハワイのオアフ島に12900平方メートルの倉庫があり、緊急展開用に5000人分のベッド、テント、水、食料が常備されている。また、大統領令39(FDD39)という法律により、テロ破壊活動に対してはFBIが犯人対策、危機管理庁が救援対策と責任分担を明確にして協力対応する手筈となっている。
災害救済基金の運用による補助金の条件に、建築基準法の改正や用地区域の見直しを入れ、再発防止のための配慮もしている。こうした活動資金は連邦政府からの経常費150億ドルと、各州政府、地方自治体からの補助金、保険料などを合わせ年間約500億ドルである。
誰しも、突如予想外の出来事に遭遇したとき、適切な対応をすることは難しいものである。そうした現実を踏まえて、あらゆる災害の可能性を検討し対応策を準備しようとする姿勢には頭の下がる思いがした。こうした制度の根底にあるのは合理主義の精神である。
我が国においても有事法制の整備と危機管理システムの確率が急務であるが、一番肝心なことは現実的で合理的な精神の存在である。御巣鷹山に墜落した日航機の夜間救助を申し出たアメリカ海兵隊ヘリコプター部隊の好意を国の面子で断ったり、準備万端の自衛隊に対して出動要請をせずに救出作業の遅れた阪神大震災のときのような馬鹿げた話はもう沢山である。
先日の大規模テロに対するアメリカの迅速な対応には学ぶべき点が多いと思う。
最近プロ野球が面白くない。
これは中日の成績が悪いせいだけではないと思う。日本のプロ野球は「最終的に巨人が勝つ」という水戸黄門的猿芝居のためにあるように思えてならない。ドラフト制度の改悪もFA制度もすべて巨人有利に運ばれ、他球団は団結して文句すら言えない。
たまにTVで観ているだけの私がそう思うぐらいだから、腕に覚えのある選手ならば、馴れ合いの世界の井の中の蛙で終わるよりも、本場で自分の力を試したいと思うのは当然のことだろう。昨今の有力選手の大リーグ志向は、なるべくしてなったと言える。
昼間の視察を終えた我々は夕食後大リーグ見学に出かけた。サンフランシスコにはプロ野球チームはジャイアンツしかない。名前が気に入らないが、マクガイアの年間70本塁打を破る勢いの四番打者バリー・ボンズを見に行くことにした。
サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地パシフィック・ベル球場はベイ・ブリッジの南約1.5キロにある。球場の名称に電話会社の名前を使うことで、球団側は35年間で70億円の契約収入があるという。また観戦チケットの殆どはシーズン席(シート)で、当日の自由販売は約500席分しかないそうだ。シーズン席を手に入れるためには先にシーズン席を買う権利を手に入れなければならず、球団側は二重の利益を得ることになる。また、毎日球場に行く訳ではないので、行かないときにはその旨を球場に連絡すればその日の分は自由席として販売してくれ、利益は席の権利者と球団で分ける仕組みになっている。その席の値段は試合によって異なり、記録や優勝が絡めばプレミアが付き高くなり消化試合になると安くなるそうである。
古めかしくも伝統を感じさせるベル・パークは海沿いにあり、右翼場外弾は海に落ち、そのボールを巡って網を持ったボートが走り回ることになる。球場内はジャイアンツ一色で、他球団のグッズは一切置いてない。相手のファインプレーにも拍手をすると聞いていたが、応援は自軍一辺倒で相手にはブーイングのみだ。日本のように無秩序な鐘や太鼓にトランペットの応援がないためゲームに集中することができる。この方が選手も客も快適だろう。
グラウンドと客席の仕切りも低く、バックネット以外に金網は見当たらず、球場の広がりと客席との一体感がある。ファールボールによる怪我の危険性が気になるが、その点アメリカ人は馴れたものである。自分のグラブ持参で公式ボールのお土産を待ち受けている。
私の目の前で面白い光景があった。父親に連れられて初めて球場に来たらしい五歳くらいの男の子が、父親に何か耳打ちしていた。間もなく父親がピーナッツ売りの親父に声をかける。お金と引き替えにピーナッツの袋を手渡されるが、子供は納得しない。他の大人と同じように投げて欲しいのである。ピーナッツ親父は苦笑しながら投げ渡していた。男の子の笑顔の中に大リーグファンのこだわりを見た気がする。
外角の一角に、金網を通して外から丸見えの場所がある。何かと思って聞くと、貧しい子供達に無料開放しているのだそうである。20人程ずつ三回ごとに入れ替えるという。アメリカでは野球を「国民の娯楽」(ナショナル・パスタイム)と呼び、特に将来に向けて子供のファンを大切にしているのだ。
大陸の暖かい空気がカリフォルニア海流(寒流)に急に冷やされるため、サンフランシスコは〝霧の都〟と呼ばれる程霧が多い。この夏、日本では連日30度を超える猛暑続きであったが、霧が天然のエアコンの役目を果たすこの地では平均約25度の快適さである。逆に、海辺に位置するこの球場では夏場でも風向きによって夜5、6度まで冷え込むため、セーター類が必需品となる。
対ピッツバーグ・パイレーツ戦の試合の展開は、初回にピッチャーの乱闘で4点奪われ、5回までにジャイアンツが3点取り返していた。肝心のボンズの打球はフェンス直撃の二塁打が2本出て大歓声は湧くものの、本塁打は出ない。ふと左中間の上段を見ると、直径10メートル程の大きなグローブの造り物がある。ホームから推定160メートルの位置にあるこのグローブに打球が当たると100万ドル(1億2千万円)の賞金と桁も違うが、まだ獲得者はいない。
明日の日程に差し支えるといけないので我々は6回終了の時点で帰ることになる。せめて7回までいて、お馴染みの「私を野球に連れてって」(テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボール・ゲーム)の歌を聞いて帰りたかった。
皮肉なことに、我々が球場を出て駐車場に向け歩き出した途端に大歓声が上がった。7回裏早々に逆転ホームランが出たのだ。外野席の上段から噴水が上がり、2点が入った。その後試合は再度同点にされ、延長10回裏のサヨナラ勝利となった。最後まで観ておれば面白い試合であったのに、実に惜しいことをした。
同行の皆さんはジャイアンツ帽をお土産に買われたようであったが。私は「SFG」の文字であっても、黒地にオレンジの帽子には触れたくもない。大リーグ公式球を買って帰った。
今、日本では授業の分からない子供が増えているという。小学校で三割、中学で半数、高校では七割の子供達が授業内容を十分理解できていないという。その上さらに文部科学省は、義務教育における教科内容の30%、授業時間の20%を削減する方針である。「ゆとり教育」の名の下に、この二十年間で授業時間は三分の二になり、約1000時間減ったことになる。
2002年度の新学習指導要綱によれば「基礎学力を重視し、自分で考える力をつける個性を生かした教育」をするのだという。そのために、高校では二年生の途中まで本来中学で行っているべき内容を学ぶことになる。その挙句、高等教育のレベルが下がり、大学のレベルも低下し、卒業生のレベルも低くなる。その皺(しわ)寄せは社会に反映し、経済界、産業界の新人教育の負担が増し、産業競争力の低下さえ危ぶまれている。現に先日のNHKの番組で「日本の教育レベルは38カ国中14~16番目で、先進国中最低レベルである」との話があった。
諸外国では、より激烈な二十一世紀の国際競争を勝ち抜くために授業時間を増やし、特に理数系に力を入れている。日本は時代の逆を行こうとしているのではないかと心配するものである。授業時間が減って喜ぶのは学習塾ばかりである。
昨年、監査委員として県下の公立高校を訪問した折、殆どの校長が同様の危機感を持ってみえた。国会議員に意見を求めれば、私が尋ねた殆どの方は「ゆとり教育」に反対であった。ところが現実は、誰もこの流れを止められない。
なぜだろうか?
そもそもこの問題は教育問題として始まったのではない。今から十年程前の日米構造協議の中で不公正な商慣行の是正と共に日本人の労働時間の削減が約束され、まず削りやすい教員や公務員の労働時間を削減するところから始まったと記憶している。振り返ってみれば、大店舗法の廃止や金融の自由化と同じで、グローバル化を旗印にしたアメリカの長期戦略による日本人のレベル低下作戦に引っかかったような気がしてならない。教育現場で子供の自主性や個性が言われるようになった頃から教育のレベル低下が始まり、併せて個性も自律性もない人間が増えてきたような気がする。
本来、人間の能力に個人差があるのは当たり前のことであり、それを直視しようとしないことに問題があると言える。屈辱感から這い上がる力をつけるのも教育である。
組織論の考え方の一つに「二割説」というのがあるそうであるが、いかなる組織・国家においても集団をリードする20%の人材を保持していれば、その集団は一つの組織としての機能を維持できるというのである。この二割のレベルが高ければ全体のレベルも上昇し、低ければ全体のレベルも下がるというのである。そうした力の根源にあるのが教育であると思う。
表面的な平等性にこだわり過ぎて教育本来の持つ人材育成がなおざりになっていないか心配である。飛び級の採用だけで国家的エリートの育成ができると考えるのは甘くないだろうか。各国はそれぞれの国情の中でエリート育成に力を入れている。特に、お隣の中国や韓国で行われている幼少期の選抜試験に始まるITエリート育成教育をナメていると、後で大きなしっぺ返しがあるような気がしてならない。
今年は、歴史教科書問題で大揺れの年であった。時期的に誤解を招きやすい問題であったが、私が六月議会で取り上げたのはこの問題であった。私が歴史教科書に関心を持ったのは、長男が小学生の頃に彼の宿題に関わり教科書を見たことに始まる。
元来、歴史的事実に対する認識は国によって異なることは珍しいことではない。フランスの英雄ナポレオンは近隣諸国では侵略者でしかなく、アメリカ独立戦争もイギリスにとっては反乱軍の蜂起である。そうした記述の教科書さえあるが、それが問題となったこともないようだ。
日本と中国・両朝鮮の問題をそうしたものと同列に論ずるのは難しいだろう。過去の歴史として片付けるには生々し過ぎる問題であり、さらに儒教的価値観とアジア的面子が絡み、互いに自国に不都合なことを認めないからである。それでも日本の場合は、加害者としての負い目があるせいと経済的関係への配慮から、おしなべて押され気味である。外交は土下座外交、教科書は中国・韓国の言うがままというのが近年の我が国の姿であった。
ところが歴史的事実を社会科学として見直すと、必ずしも相手の言い分が正しいとは言えぬ部分が出てきた。加えて、日本人の立場からの歴史観を主張する考え方も無視できなくなり、そんな時期に起こったのが今回の歴史教科書問題である。結果的に大きな政治問題にとなったために日本の殆どの教科書選定委員会は逃げ腰になってしまい、問題は先送りされた形となってしまった。
我々がサンフランシスコ教育委員会を訪れたのは、ちょうどそんな頃であった。
サンフランシスコ市庁舎前の大通りを抜けた一角に、教育委員会の白い二階建ての事務所はあった。
我々を出迎えてくれたのはジル・ウィンという五十年配の自信にあふれた女性教育長であった。まず、我々の予備知識の程を確認してから本題の説明に入った。
ラスベガスが世界のメガリゾートとしての地位を確保したもう一つの大きな要因は、空の玄関としてのマッカラン空港の利便性の良さにある。西海岸のサンフランシスコやロサンゼルスから空路1時間と手頃な位置にあり、中心街まで3キロという主要都市の空港として世界で最も優れた立地条件を持っている。客商売の店にとって玄関の造りが重要であるように、年間3800万の訪問者を迎えるラスベガスにとって空港の立地と運用の良否が都市経済の盛衰に直接関わってくるのである。
現在この空港は四本の滑走路を有し、内側の二本が65度の角度で交差し、その外側に並行して各一本の滑走路が配置されている。主要滑走路は東西方向の二本で、北側の4421メートルのものが離陸用、南側の3208メートルが着陸用である。南北方向の2980メートルの二本のうち一本は民間専用路(GA)として使われているという。
去る9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、アメリカにおける国家主義、愛国心高揚の動きが続いている。同時に様々な形の反戦・平和の運動も起きている。現状において、どちらが適切な対応であるのか何とも判断しにくいところである。
「テロリスト相手に戦闘行動を行うことは、ノミを相手に拳銃を撃つようなもの」という譬(たと)えも分かりやすいし、「テロリストを野放しにすればまた繰り返すから根絶すべし」という理由も成程と思わされる。
ただ、今回の事件の根底には、イスラム対西欧・ユダヤという民族・宗教対立と経済的南北問題が横たわっており、それを理解しない限り全体像は見えてこない。
「片手にコーラン、片手に剣、あるいはジズヤ(宗教税)」と言われるように、本来イスラム教は、異教徒に対して「隣人愛」を説くキリスト教より余程寛容な宗教であった。それは、近世までイスラム圏の方が技術文明、学問、軍事力においても勝(まさ)っていたという自負心と余裕があったせいかもしれない。
ところが近代に入って産業革命による技術革新が進み、軍事力を含めた彼我の力関係が逆転するに及び、オスマントルコの衰亡とともに中東諸国は西欧の植民地として足下に踏みにじられる存在となっていった。西欧の植民地支配は狡知に満ちたものであり、被支配国の中で対立する勢力があれば、一方に他方を直接支配させる形を取り、真の支配者は表に出ない。そのため、支配に対する不満や憎しみは同国人同士の間を対流することとなる。そのために被支配民族が分断され、西欧の長期に亘(わた)る植民地支配が達成されることとなった。
植民地支配の一番の弊害は、民族の誇りの喪失であると思う。誇りの喪失とは、主体性の喪失、自信の喪失であり、人間の精神の根本を台無しにしてしまうのである。そうした関係が数世代続くと、簡単には元に戻すことはできない。今日の南北格差の裏には、そうした精神的要素もあるのである。
さらに、二十世紀になりシオニズムによるイスラエル建国が成り、故郷を追われたアラブ人のパレスチナ問題が発生した。西欧社会で厄介者扱いであったユダヤ人の国家の存在そのものが、中東イスラム世界に打ち込まれた西欧の楔(くさび)となっていることは実に皮肉な現象である。
通常、おのおの国家として分立している中東諸国であるが、ひとたびイスラムが絡んでくると問題は全イスラム、全アラブの問題として拡大されることがある。しかも、湾岸戦争以来、中東各地、殊(こと)にイスラムの中心・メッカのあるサウジアラビアに、異教徒であるアメリカの軍隊が駐留していることが敬虔なイスラム教徒を刺激している。そうした情況を利して自らの政治目的を達成しようとしているのが、イスラム原理主義の中のさらに狂信的なグループの人々である。
今回の問題の一番難しい点は、軍事行動のさじ加減を誤ると、サミュエル・ハッチトン教授が『文明の衝突』の中で指摘しているように、イスラムと西欧の対決を引き起こす可能性があることである。テロリストの狙いはそこにある。
本来、こうした難しい国際関係の中にあって、第三者的立場にある日本の役割が注目されるところであるが、残念ながら我が国が独自性を発揮できる見込みは少ない。今も一部近隣諸国から、ありもしない我が国の野心を指摘されることがあるが、一般的に日本は、金こそ持っているものの国家としての意志の曖昧な頼りない国と思われている。それは今に始まったことではない。
二十数年前、インディアナ州立大学で国際関係の講座を取っていた時、ケース・スタディ・ゲームをおこなったことがある。米・ソ・英・仏の先進国に、イラン、イラク、サウジアラビアの中東の大国とイスラエル、それにインド、中国を加えた十カ国を、一カ国につき三~五人の学生でグループ分けし、教授が設定する国際情勢に対応して各国グループ間で外交交渉の真似事をしながら政策決定していくのである。
グループ分けが始まる前に「なぜ経済大国の日本がないのか。私一人でも良いから日本も入れて欲しい」と教授に言ったところ、教授はにこやかに笑いながら少し間を置き、小さな声でこう答えられた。「ミスター内田、駄目(ノー)です」。敢えて説明はされなかったが、「日本は国際政治をリードする要素とはなり得ない」という底意(そこい)を感じた。
個人の存在と同じく、国においても国家哲学とも言える明確な方針と、それに連動した行為が伴わなければ、経済力だけで他者からの尊敬と信頼を得ることはできない訳である。
今回の事件は、近代文明と民主主義に対する挑戦であると同時に、新時代の日本の真価が問われるものともなるだろう。
前回記した国際関係ケース・スタディは予想外の結果となった。現実の国家は歴史的な柵(しがらみ)と時々の内外情勢によって政策が決定されるが、我々の仮設国家グループは歴史的な柵から解き放たれた結論を出した。仲の悪いイランとイラクが手を結び、サウジアラビアとインドがそこに加わり、欧米先進国と対決する図式を作り出したのである。
当時、「こんなことは絶対に起きっこないよな」と笑っていたものであるが、二十数年後の今、この図式を笑えない情況が出てきている。冷戦構造が崩壊してイデオロギーのタガが外れた結果、各国の民族主義や宗教的同一性が国境を越えて広がり新たな国際的不安要因を作り出しているのはご案内の通りである。
結局、こうした時代に自国を守る要素は、経済力と軍事力の二つの柱に加え、国民の質と非常時に結束力しかないと思う。もちろん外交努力によって国際衝突を避けることは前提条件であるが、現実に話しても解らないし、解ろうともしない国や集団が存在することは周知の事実である。
今回のアメリカの同時多発テロに対して、全米が国旗と国歌の下に一つになろうとしている姿を称賛する声を耳にするが、あれはアメリカの建国以来の伝統と教育の成果の賜(たまもの)である。私がアメリカという国家をしたたかであると思うのは、先の大戦時において欧米に対する唯一にして手強い挑戦者であった日本という国の精神文化の基盤をGHQによる占領政策により上手に骨抜きにしておきながら、自国においてはきちんとした愛国教育を施している点である。
「自由の国」と言われるアメリカの学校では、小学校から高校まで毎朝の朝礼の時に「忠誠の誓い」(Pledge of Allegiance)という宣誓を国旗に向けておこなっている。その内容は「神の名の下に分かれたることのない一つの国家と、万人の自由と正義を守る連邦を表すこの国旗に対し、私は心から忠誠を誓います」というものである。米国議会の上院、下院でも会期中は毎日この忠誠式から始まり、これは議会規則として明記されている。また、人々が何かの行事で集団となった時、国旗の掲げてある場所では右手を左胸に当て、必ずこの忠誠式を行うそうである。
多民族国家であるアメリカと我が国を同一に論ずることは早計かもしれないが、子供の頃から自己と社会・国家との繋がりを認識させる教育を施すことは、普通はどの国でも行われていることだろう。しかし不幸なことに我が国においては、先の大戦における敗戦と一部の軍国主義アレルギーのため、こうした諸外国では当たり前となっていることすら顧(かえり)みられなくなっている。「国際化の時代」と言われて久しいけれども、私のささやかな経験からして、ただ外国語を操るだけの国籍不明の人間が国際社会で尊敬されることは、まずあり得ない。自らの国家に対する理解と愛情を、誇りを持って語ることができ、その上で国際関係を論ずることのできる人間こそが信頼されるものと思う。
以前、一度だけ駐日米大使時代のマイク・マンスフィールド氏とお会いしたことがある。氏は長く米民主党上院院内総務の要職にあり、高い見識と清廉誠実な人柄から〝アメリカの良心〟という尊称を得ている。同時に、親日家としても有名であるマンスフィールド氏はこんな言葉を残している。
「よく私は日本びいき(プロ・ジャパニーズ)と言われるが、それは正しくない。確かに私は日本及び日本人を尊敬している。日本が抱えている問題も理解しているつもりだ。しかし、もし私の言動が日本のためになっているとしても、それは私が米国の国益を前提に動いた結果に過ぎない。私はごく普通の愛国的アメリカ人であり、ただの米国びいき(プロ・アメリカン)に過ぎない」
実に見事な外交官としての姿勢である。
私は、題材にした国のことを書く時、辛口の記述となりがちである。以前、アメリカ大使館のヒュー・ハラ公使に私の本を差し上げた折、「アメリカ人の税金で大統領就任式に招待頂きながら、アメリカの悪口ばかり書いて申し訳ない」と言ったところ、「あなたが自分の目で見、自分の頭で考えたことであるならば、どんなことでも御自由に書いて下さって結構ですよ」という言葉を真顔で返された。
アメリカという国も、他の国同様決して完璧な国ではない。しかし、上級外交官の口からこうした言葉が何の衒(てら)いもなく出てくるところにアメリカという国の素晴らしさがあると思う。
今回の同時テロに帯するアメリカの最終的対応は、現時点(9月30日)ではまだはっきりしていない。しかし、アメリカ社会が多くの問題を包含しながらも、自由と民主主義に育まれた健全な愛国心を有する限り、国際社会におけるアメリカの主導的立場は当分揺らぐことはないだろう。
ニューヨーク証券取引所再開の日、TVから流れる「ゴッド・ブレス・アメリカ」の歌声を聞きながら、そんな確信を抱き始めていた。