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内田やすひろクロニクル ~その3 議長就任から市長当選まで~

 一回は当選しないと応援頂いている皆様に申し訳ない、と思って戦った最初の県議戦から5回連続当選。県議5期目の平成15年(2003年)11月28日、辞任した副議長の職を受け、第95代副議長に選任されました。いきなりぶっつけ本番の12月議会でしたが、同僚、先輩、事務局の助力もあり無事任務を果たすことができました。後に先輩から、「党が危機に陥りかけたあの時の君の決断と行動の結果が、のちの議長への道につながったんだよ」と言われましたが、当時はそんなことを考えている余裕もありませんでした。
第86代愛知県議会議長に就任  平成18年(2006年)5月26日。県議5期目の最終年、同僚、先輩の議員に推され、第86代愛知県議会議長に就任しました。岡崎人として実に55年ぶりのことでした。まさか自分が県会議長になれるとは思っていなかった。縁というのは不思議なもので、この同じ年、安倍晋三先生が第90代内閣総理大臣に任命され、それぞれが国と県の重責につくこととなります。

 平成24年(2012年)4月25日は忘れられない日となりました。この日、2月以降面会を求めてもドタキャン続きで会うことのできなかったS市長宅を訪れ、市長選出馬の意志を伝えることができたのです。記者会見の日時の設定のため、担当に電話したところ、翌日の昼ならOKということで、急遽26日の昼、市役所で出馬の記者会見をすることが決まりました。「市長選出馬は、一時の思いつきではなく、長年熟考し、自らの年齢と経験を考えた上で決断した。岡崎に生まれ岡崎に育った一人として、次の新しい岡崎建設に向けてガンバりたい」ということを語りました。
 重点政策としては、歴史文化遺産を活かした観光都市岡崎の建設と川の水辺空間を活用した町造りを訴え、不必要なハコモノ行政は廃し、教育、医療、福祉に光を当てた市政を目指すことを表明しました。
 当初はまだ現職が再出馬するかどうか分かっていませんでした。6月に進退表明をするということでしたが、どうやらこれは時間稼ぎで、すでに秘密裏に対抗馬の擁立に動いていたことが当事者らの証言で後に判明することとなります。しかも複数の関係者の弁によれば、真意は私を市長選におびき出して、つぶしてしまうことが目的であったそうです。
岡崎市長選挙(2012年)  今回の選挙は、後援会の活動が夏をはさんでのものであり、暑さとの戦いでもありました。暑いさなか、様々な年代の多くのボランティアの皆さんのおかげで選挙への準備が着々と進められて行きました。ただただ感謝の一言です。
 9月26日の総決起大会をはずみに10月の選挙戦に突入と私は考えていました。同日に行われた自民党総裁選のため安倍晋三氏の来岡は不可能となったものの、昭恵夫人の来訪により、かえってムードが上がる結果となりました(天佑神助は我にあり、と思ったのもこの頃から)。
 前市長と現知事が後押しする新人候補に、労組と、宗教団体を母体とする政党も推薦する形となりましたが、後援会の皆様方の結束力と岡崎市民の良識の力によって私が当選できたものと考えております。これからは選挙公約である「次の新しい岡崎」づくりに向けて全身全霊を込めてガンバリ抜く覚悟であります。

(『リバ!』2013年3月号、「内田やすひろの徒然市長日記」より転載)

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